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かつての喘息治療といえば、苦しい発作が起きた瞬間に、慌てて吸入薬を使って呼吸を楽にするという対処療法が中心でした。しかし、医学の進歩により、喘息の本質が「気道の慢性的な炎症」であることが解明されました。
これはどういうことかというと、喘息の方の気管支(空気の通り道)は、症状がない時でも常に火傷(やけど)のような炎症を起こして赤く腫れている状態にあるということです。そのため、タバコの煙や冷たい空気、アレルゲンといった少しの刺激でも過敏に反応し、気道がキュッと狭くなって発作が起きてしまうのです。
現在では、この「慢性的な炎症」を鎮める継続的な治療を行うことで、以下のような状態を目指します。
症状のコントロール:咳やゼーゼーする症状が出ない状態を維持する。
正常な呼吸機能の維持:健康な人と変わらないレベルの呼吸機能を保つ。
日常生活の質の向上:仕事、家事、運動など、健常人と全く変わらない生活を送る。
最終目標としては、将来的な呼吸機能の低下を防ぎ、喘息による死亡事故(喘息死)を回避することが最大の目的です。治療は長期戦になるため、薬による副作用を出さないように工夫しながら進めていくことも重要なポイントとなります。
喘息の薬物療法は、大きく分けて2つの役割があります。この違いを理解していないと、「調子が良いから薬をやめた」といった自己判断につながり、大変危険です。
これは、火事で例えるなら「防火対策」です。
症状が全くない時でも毎日継続して薬を使用し、気道の炎症という「火種」を消し続ける治療です。ここで使われる薬を「長期管理薬」と呼びます。これによって、発作が起こりにくい強い気管支を作っていきます。
こちらは「消火活動」です。
万が一、発作が起きてしまった時に、狭くなった気道を素早く広げて呼吸を楽にするために使います。あくまで一時的な緊急避難としての治療であり、これを使っても炎症自体は治まりません。ここで使われる薬を「発作治療薬」と呼びます。
喘息治療では、患者さん一人ひとりの症状の頻度や強さに合わせて、「治療ステップ」と呼ばれる4段階のレベルを設定し、薬の種類や量を調整します。これを「ステップアップ(治療強化)」や「ステップダウン(薬を減らす)」といいます。
では、未治療の状態での症状を目安に、どのステップに当てはまるか見てみましょう。
症状の頻度:週1回未満(月に数回程度)
治療方針:
ごく稀にしか症状が出ない軽い段階です。原則として長期管理薬は必須ではありませんが、月に1回でも症状がある場合は、少量の「吸入ステロイド薬」の使用が推奨されます。
もし吸入が苦手な場合や副作用が出る場合は、「ロイコトリエン受容体拮抗薬」や「テオフィリン徐放性製剤」といった飲み薬を使うこともあります。
症状の頻度:週1回以上あるが、毎日ではない
治療方針:
ここからは本格的な治療が必要です。第一選択薬として「低用量〜中用量の吸入ステロイド薬」を使用します。これだけで不十分な場合は、気管支を広げる薬などを併用します。特に、吸入ステロイド薬と「長時間作用性ベータ2刺激薬」を組み合わせると、呼吸機能が速やかに改善されることがわかっています。
症状の頻度:毎日あるが、日常生活には大きな支障はない
治療方針:
気道の炎症が強いため、「中用量〜高用量の吸入ステロイド薬」をベースに、気管支拡張薬など他の薬を1つ、あるいは複数組み合わせて治療します。それでもコントロールが難しい場合は、特定の抗体医薬(注射薬)を使うこともあります。
症状の頻度:毎日あり、日常生活に支障をきたしている
治療方針:
最も重い段階です。「高用量の吸入ステロイド薬」に加え、複数の薬剤を総動員して治療します。それでも改善しない難治性の場合は、専門的な「分子標的薬」の使用や、気管支を温めて広げる「気管支熱形成術」という手術的な治療も検討されます。飲み薬のステロイドを使用する場合は、副作用を避けるため短期間にとどめるのが原則です。
治療を始めたら、1〜3ヶ月ごとに「今の治療で合っているか?」を評価します。感覚だけでなく、客観的な数値目標をクリアしているかが重要です。
以下の項目すべてに該当する場合、あなたの喘息は良好にコントロールされています。
日中および夜間の喘息症状が全くない。
発作治療薬を使っていない。
運動を含め、活動の制限がない(全力疾走しても大丈夫)。
呼吸機能検査の値が、予測値あるいは自己最良値の80%以上ある。
ピークフロー値(息を吐く強さ)の日内変動・週内変動が20%未満である。
喘息の増悪(悪化)がない。
ピークフロー値とは?
ピークフロー値は、息を一気に「フッ!」と吐いたときの勢い(最大呼気流量)を数値化したものです。
– 喘息では気道が狭くなったり炎症が起きたりするため、この値が日によって大きく変動しやすくなります。
「変動が20%未満」とはどういうこと?
-喘息の状態を安定しているかどうか確認するために、ピークフロー値を毎日・毎週測定します。
その際、一日の中での変動幅や一週間の中での変動幅を計算します。
20%未満の意味
20%未満 → 気道の状態が安定していて、喘息のコントロールが良好。予後(今後の見通し)も良いと判断されやすい。
20%以上→ 気道が不安定で、症状が悪化しやすい可能性があるため、治療の見直しが必要になることがある。
特に、呼吸機能が80%以上保たれているか、日々のピークフロー値の変動が20%未満で安定しているかという「具体的な数値」は、治療の成功を測る非常に重要なバロメーターです。
逆に、症状が週1回以上あったり、呼吸機能が80%未満だったり、変動が20%以上ある場合は「コントロール不十分」とみなされます。さらに、これらが複数当てはまったり、月に1回以上増悪する場合は「コントロール不良」です。
良好な状態が3〜6ヶ月続けば、医師と相談の上で薬を減らす(ステップダウン)ことができます。しかし、少しでも症状があれば同じ治療を継続、あるいは治療を強化(ステップアップ)する必要があります。この時、薬が正しく吸えているか(吸入手技)、薬をサボっていないか(服薬アドヒアランス)の再確認も大切です。
長期管理をしていても、風邪やアレルゲン、ストレスなどで発作が起きることはあります。その際は、家庭や救急外来で速やかな対応が必要です。発作の強さに応じた対応を見ていきましょう。
症状:少し息苦しい、ゼーゼーする程度。
対応:普段の長期管理薬に加え、「短時間作用性ベータ2刺激薬」の吸入薬を頓服(とんぷく)として使用し、自宅で様子を見ます。
症状:苦しくて横になれない、歩くと息切れする。
対応:吸入薬を1〜2時間おきに使う必要がある場合は、迷わず救急外来を受診してください。病院では酸素吸入や点滴などの処置が行われます。
症状:会話ができない、意識がもうろうとする。
対応:命に関わる危険な状態です。直ちに救急車を呼ぶか救急外来を受診してください。入院が必要となり、場合によっては人工呼吸器などの集中治療が行われます。
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ここからは、治療の主役となる薬について、その働きを詳しく解説します。
現在、喘息治療で最も重要で、最も効果的な抗炎症薬です。
「ステロイド」と聞くと副作用を怖がる方がいますが、吸入薬の場合、薬は直接気道に届き、血液中に吸収される量はごくわずかです。そのため、全身的な副作用(肥満、骨粗鬆症など)は極めて少ないのが特徴です。
ただし、口の中に薬が残ると、カビの一種が増える「口腔カンジダ症」や、声がかれる「嗄声(させい)」が起きることがあります。これを防ぐため、吸入後の「うがい」が必須です。
狭くなった気道を物理的に広げる薬です。仕組みの違いでいくつか種類があります。
ベータ2刺激薬
気管支の筋肉(平滑筋)にある「ベータ2受容体」というスイッチを押すことで、気管支をリラックスさせて広げます。
短時間作用性(SABA):効果がすぐ出るため、発作時の特効薬として使われます。しかし、炎症を治す力はないため、使いすぎると心臓への負担(動悸、頻脈)や、かえって発作が起きやすくなるリスクがあります。
長時間作用性(LABA):効果が長く続くため、発作予防として吸入ステロイド薬と一緒に毎日使います。ステロイドと組み合わせることで、お互いの効果を高め合う相乗効果があることがわかっています。貼り薬(ツロブテロールなど)もあり、夜貼れば早朝の発作予防に有効です。
キサンチン誘導体(テオフィリンなど)
気管支を広げる力はベータ2刺激薬より弱いですが、抗炎症作用も持っています。他の薬で効果が足りない時の追加薬として使われます。
抗コリン薬
気管支を収縮させる神経(副交感神経)の働きをブロックすることで、気管支が縮まるのを防ぎます。これも長時間作用性のものは、吸入ステロイド薬との併用が必須です。
喘息はアレルギー反応が深く関わっています。そのメカニズムと薬の働きを少し詳しく見てみましょう。
ダニや花粉などの「アレルゲン」が気道に入ると、体内の免疫細胞(Th2細胞など)が指令を出します。
その指令を受けて、「IgE抗体」というミサイルのようなものが作られます。
IgE抗体は、気道の粘膜にある「マスト細胞」にくっつき、いつでも攻撃できる準備状態(感作)になります。
再びアレルゲンが入ってきてIgE抗体と結合すると、マスト細胞が爆発し、中から「ヒスタミン」や「ロイコトリエン」といった化学物質(メディエーター)が放出されます。
これらの物質が気道の筋肉を収縮させたり、痰(たん)を増やしたりして、喘息発作を引き起こします。
抗アレルギー薬は、この一連の流れのどこかをブロックする薬です。
ロイコトリエン受容体拮抗薬
気管支を収縮させる強力な物質「ロイコトリエン」の働きを邪魔します。気管支を広げる効果や炎症を抑える効果もあり、吸入ステロイド薬の次によく使われます。特に、アレルギー性鼻炎を合併している人や、運動で喘息が出る人、アスピリン喘息の人に効果的です。
その他の抗アレルギー薬
ヒスタミンの働きを抑える薬や、Th2細胞からの指令(サイトカイン)を邪魔する薬などがあります。これらは長期管理の補助として使われます。
喘息治療は、「発作を止める」ことから「炎症をコントロールして発作を予防する」ことへと大きく変わりました。
治療の基本は、以下の3点に集約されます。
吸入ステロイド薬を中心とした「長期管理薬」を、症状がなくても毎日続けること。
自分の重症度(治療ステップ)に合った適切な薬を選ぶこと。
呼吸機能80%以上、変動20%未満という具体的な数値を目標に、定期的に評価すること。