中二病に関する学術研究
中二病に関する初の学術研究が公開されました。
中二病は病気ではないものの、「軽度の自閉症スペクトラム障害の一部であることを否定することはできない」という程度の認識です。
中二病は精神疾患とはみならされておらず、神経発達障害、自傷行為、運動能力低下、注意欠損、ケアレスミスなどの特徴はありません。
今回の報告を行ったチームは
「中二病の特徴を知ることで、子供と接する大人が子供の心の健康サポートの一助になるかもしれない」という目的をもって報告しています。
中二病の特徴(中二病とは)
・悪魔から授かった力を封印するために腕に包帯を巻く
・超自然的な存在が見えると主張する
・自分を特別な名前で呼ぶ
・思春期に他者の価値を過小評価し、自己の価値を高く評価する
・高い自己評価に対して、実際の能力の低さとのギャップが中二病を発症させる可能性がある
・現実と自己評価の差(アンバランス)が生じていると感じている
などの特徴をもった状態を「中二病」を呼んでいます。
報告内容
被験者314名(平均年齢:31歳)を対象として
「中学・高校時代に中二病を経験しましたか」
「自分は中二病だとは思わないが、中二病だといわれたことがりますか」
上記の質問で「はい」と答えた中二病群122名(38.9%)、と非中二病群192名(61.1%)に区分しました。
中二病群122名のうち79名(64.8%)が男性、43名(35.2%)が女性でした。
一方、非中二病群では男女差の割合はありませんでした。
中二病群、非中二病群に同じ内容のアンケートを行い、統計学的に中二病群に高い割合を示した内容を記します。
以下のカッコ内の数字は(中二病群 : 非中二病群)の割合とします。
・中二病による悩みや思春期に関する悩みがある(67.2%:14.1%)
・コミュニケーションがうまくいかない(24.6%:4.7%)
・原因不明のストレスを感じる(35.2%:6.3%)
・家族や友人との関係が悪化した(23%:2.6%)
・大人になっても中二病を経験している(17.2%:0%)
・世界は何かがおかしいと感じている(61.1%:34.9%)
・空想の友達やボーイフレンド・ガールフレンドがいる(32.%:5.2%)
また、両群ともに「恥ずかしい思いをしたことがある」に対する回答については同程度の割合だったにもかかわらず、
恥ずかしい思い出を嫌な記憶と感じていると回答した人の割合は
中二病群:49.2%に対して、非中二病群では34.4%となり差が生じていました。
また中二病群122名について「中二病で困ったことはありますか」という質問を行い、「はい」と回答した82名を「問題を抱えた中二病」と区分してさらなる調査が行われました。
問題を抱えたことがある中二病群82名(年齢中央値は33歳:(男性51名、女性31名))に関して、統計学的に有意に高い割合を示した質問内容は以下の通りです。
以下のカッコ内の数字は(問題を抱えた中二病群 : それ以外の群)の割合とします。
・学力テストでは自分の本当の能力を測ることが出来ない(52.4%:34.9%)
・世の中がおかしいと感じている(74.4%:35.8%)
・架空の友人や彼氏・彼女がいる(32.9%:9.5%)
以上の調査結果をもとに、筆者らは以下の考察を行っています。
中二病群は比較的男性の割合が多く、中二病による困ったことを経験した割合も男性が多かった。中二病群・非中二病群ともに、中二病に対してネガティブな印象を持っている人が多いようです。
また、「学力テストが自分の本当の価値を反映していない・世の中がおかしいと感じている」という割合が高いことから、世の中に違和感を感じる傾向が高く、現実と自己評価の間に解離が生じていることが示唆されます。
学力テストの点数と自分の理想との差が自尊心に影響を与えている可能性があり、中二病群では学力テストや世間の価値を否定する傾向にあるようです。
筆者らの予想では「中二病群はコミュニケーション能力が低いため、告白するのに苦労するのではないか?」と予想を立てていたようですが、中二病の人でも告白することが出来るとまとめています。また「恥ずかしい」と感じる割合は両群で差はないものの、中二病群では「恥ずかしい経験」をする頻度が多い可能性があり、それらの経験を「悪い記憶」として記憶にとどめる傾向にあるようです。
最後にもう一度記載しますが、「中二病は病気ではありません」。多くの人が中二病を経験しており、大人になってから中二病に関連した問題はなく、社会生活を送ることが可能としています。また一般的に中二病は思春期や学校卒業後に解消されるが、今回のデータは思春期以降も中二病が残りそうな人を特定するのに役立つかもしれません。
一説によると、中二病は解消されるのではなく、大人になることで過剰な自意識を隠すことができるようになるため、中二病が解消されるのではないかという説もあります。
大人がなにか問題を抱えた中二病群に接する際に気を付けることは、子供の心の変化に気づき、それを受け入れ、間接的に中二病であると気づかせる手助けをすることだと筆者らは記載しています。重要なことは、中二病は病気ではなく、一過性の個性の表現であるということです。
興味深い研究ですね。出典論文が知りたいです。
ご連絡ありがとうございます。
PUBMED検索にて無料で公開されておりますので添付いたします。
アンケートにより判明した中二病の特徴とは
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8612564/
御礼が遅くなり申し訳ございません。御教授ありがとうございました。PLOS ONE という媒体は寡聞にして知らず、しばらく内容をちまちまと見ていたのですが、「学術論文自費出版支援業」っぽい運営方針から受けるイメージとは裏腹に濃い内容の論文が多いんですね。ただ論文数が膨大すぎて、興味深い内容の論文があっても絶対見逃しそう… こんなのよく見つけられましたね。
大人にナ(成)五段活用
① 【大人に成らない】 【大人に成ろう】
② 【大人に成ります】 【大人成った】
③ 【大人に成る】
④ 【大人に成るとき】
⑤ 【大人に成れば】
⑥ 【大人に成れ】
私と他者との心の対応において、六態様がある。私をAとし、観察者をBとして観察者の子供の頃(過去)の私に対する印象と齢を経てからの両者の会話を挙げみる。
B 「その事(ある事案)について、A君その事について【大人に成ろう】としたかい。」
A 「【大人に成ろう】としたかったが、【大人に成らない】ことにしているよ。」
①の用例は、両者の事案に対する心の意識が相違している場合である。
B 「その事(ある事案)について、A君その事について【大人に成ります】って言ってくれたがどうかい。」
A 「B君の言うように、その事はその通りだしその事に関して【大人成った】よ。」
②の用例は、両者の事案に対する心の意識が合致している場合である。
B 「A君は、立派な【大人に成る】と見込んでいたがどうかなぁ。」
A 「B君そらそうだ、あれからそれ相当の時間が経過しているから立派かは別にして、【大人に成る】って当たり前だよ。」
③の用例は、両者の時間の経過に対する共通の認識を確認した場合である。
B 「A君、【大人に成るとき】は子供の頃と違って人それぞれの心情の襞が違って現れるが一番の襞は何かね。」
A 「B君、一番の襞は万人に共通する心だよ。」
④の用例は、人それぞれの環境等による人間形成の結果の問いの場合である。
B 「その事(ある事案)について、A君その事について【大人に成れば】分かってくれると思っていたがどうかね。」
A 「【大人に成れば】って言ったって、私の心情の一番の襞で理解すると、【大人に成れば】って言われても難しいよ。」
⑤の用例は、人それぞれの心情の襞で照らし合わせると相違している場合である。
B 「その事(ある事案)について、A君その事について【大人に成れ】と言ったがどうかね。」
A 「【大人に成れ】と言われそうかと思ったが、心情の襞で照らし合わせると相違しているよ。」
⑥の用例は、人それぞれの心情の襞では、両者同じ心情を共有できない場合である。
万人に共通する心(心情の襞)とは、これをメタ数学として【身体化された心】から『大人にナ』を見てみる。
フランシスコ・ヴァレラ+エヴァン・トンプソン+エレノア・ロッシュ著田中靖夫訳の【身体化された心仏教思想からのエナクティブ・アプローチ】にマルティン・ハイデガーの「存在の問い」の【惑星思考】がある。
水無田気流さんが、ハイデガーの「先駆的決意性」で死生観を西欧思想は肉食系死生観、東洋思想は草食系死生観と述べておられる。
京都学派の思想に傾注する佐伯啓思先生もコラム「西洋と異なる思想 今こそ」で「日本で唯一の哲学者」と称される西田幾多郎は、西洋の論理を【有の論理】日本の論理を【無の論理】と呼んだりもしたと記している。同じ土壌の中で西谷啓冶は、ハイデガーの「存在の問い」の【惑星思考】の呼びかけに精通した。そのサワリを記すと、「・・・主体は客体化される主体と主体化される客体のいずれにもなる。」とある。
『大人にナ』のA君とB君の会話におけるA君の心情の襞をメタ数学の基底として西洋思想と東洋思想の融合としての【惑星思考】で探る。
物事をありのままに見るこれを自然主義としよう。A君がありのままに見えた事を言葉でB君に表象してみても、A君とB君の生を受けてからの環境(氏より育ち)に支配されたそれぞれの言葉の表象は違うのである。
しかし、数学の言語での表象は、万人に共通する心でなければならない。だから、『大人にナ』の事案で掲げた①⑤⑥についての内容が、数学の言語で表象されるなら解決するはずである。④については微妙(判断し難い)である。
新井紀子先生は、数式は、「宇宙人にも分かるように」と言われる。
森田真生氏は、「数学の演奏会」等精力的にライブ活動でしばしば自然数の表象を【身体化された心】で捉えようとされている。
人は、この自然数の一次元としての離散的な物理的集合の序数としての123・・・との視覚から【身体化された心】で表象の記号として認知(ラベル化)する。
このラベル化された数字を【身体化された心】の万人に共通する価値の順序としての表象に用いるとする。これを一次元の数とする。
二次元の数として物理量の面積を数で表象できる。
三次元の数の価値として、一次元の数と二次元の数の乗積として表象できる。
そこで、有限個の一次元の集合の表象された自然数の人の思考した大小(価値)比較の一次元の要素の組み合わせと三次元の要素の組み合わせの思考結果としての三次元の大小(価値)比較を数学は、『量化素子』で真理を明示しうるのだ。これは、二次元の数の減少を【身体化された心】として捉える事だったのだ。
そのエナクティブ・アプローチからの創発は、一・二・三次元の数のそれぞれの次元の数の組み合わせが『離散的有限個の有理数の多変数創発関数論』を醸成していたのだ。
チョット昔の風景を再現する。レオポルド・インフェルト著市井三郎訳の「ガロアの生涯神々の愛でし人」の一八三一年一月一三日の一九歳のエヴァリスト・ガロアの講義の聞き手(A)の呟きを記す。
「・・・数学は、われわれの感覚印象の世界に訴えることのない唯一のものであります。」
数学は、惑星思考の【身体化された心】から探れるのじゃないの?
「数学の研究が、知識というよりは真理の探究を目指している・・・」
数学は、【身体化された心】のオエセル(光明)かも知れない?
「・・・一挙にすべての数学的真理を認識しうる人がいるとすれば、その人はわずかの原理と均一な方法とから、それらのあらゆる真理を厳密に機械的に演繹できるでしょう。」
数学は、【身体化された心】のオエセル(光明)から『離散的有限個の有理数の多変数創発関数論』から群を知らしめているのではないか?
鷲田清一先生の「折々のことば」の拾いに、マックス・ピカートの言葉の
「非連続の世界においては、精神は存在しえない」
を眼にし、つくづく数学は、ミステリーだなー・・・と。
何故なら、非連続の世界を【身体化された心】で捉えると連続の世界が顕現してくる、これ即ち精神の世界への突入ではないか。数学は、精神に生きる生き物だと。
また、数の世界では、一次元の数と二次元の数の解析接続を【身体化された心】からの【惑星思考】により正比例と反比例を量化すると・・・。このことから創発関数論の孵化係数は、一次元の数と二次元の数をアーベル群化する幾何学的創発係数とおぼしき【e‐2】を確かめることができる。
マックス・ピカートのこのソースは、「われわれ自身のなかのヒトラー」で「連関性を欠いた人間」に連続性がない。なるほど ゝ 健全な「精神は存在しえない」って言うことなのですね。
離散的有限個の有理数の多変数創発関数論に出くわしたことは
いろはかるたに
「犬も歩けば棒に当る」
人生こんなもんっていう コッチャ ヽ ・・・と。
しかし、いろは歌に込められた呪文は裁かれねばならない。
合掌
≪…中二病は解消されるのではなく、大人になることで過剰な自意識を隠すことができる…≫的なエッセイが見つかります・・・
オモシロそうですが・・・