無免許医師によるがん治療事件で懲役5年
医療への信頼を根底から揺るがした偽医師事件
病気と闘う患者にとって、医師は自らの命を預ける唯一無二の存在です。特に「がん」という生命に直結する重篤な病を告知されたとき、患者やそのご家族は言いようのない不安の中で、医師の言葉や提案される治療法に一縷の望みを託します。
しかし、そうした切実な思いを無残にも踏みにじる前代未聞の事件が発生しました。国立大学医学部を卒業した医師であると偽り、大阪市内のクリニックで多数のがん患者に対して無免許で診療を行っていた男に対して、大阪地方裁判所は懲役5年の実刑判決を言い渡しました。
被告人となった元会社役員のH被告(67歳)は、医師免許を一切持っていなかったにもかかわらず、約8か月間にわたって白衣をまとい、延べ169人もの患者に対して問診や薬の処方、がん免疫療法の適応判断といった医療行為を繰り返していました。さらに、がんワクチン開発を巡る架空の投資話を持ちかけ、知人から約3000万円をだまし取った詐欺の罪にも問われていました。
なぜこのような人物が医療機関に入り込み、患者を診察する事態にまで至ってしまったのでしょうか。そして、被告が扱っていたとされる「がん免疫療法」や「がんワクチン」とは、生体内でどのような薬理作用をもたらすものなのでしょうか。
本記事では、裁判で明らかになった事件の詳細や身勝手極まりない動機を振り返るとともに、医療行為の本質である薬の作用メカニズム、そして私たちが命を守るために知っておくべき防犯・自衛の知識について詳しく解説していきます。
2. 事件の経緯と裁判で明かされた驚くべき実態
30年前から始まった身勝手な嘘
裁判の審理や検察側の冒頭陳述によって明らかになった事実の中で、特に強い衝撃を与えたのが犯行の動機です。検察側の指摘によると、H被告が医師を詐称し始めたのは事件の直前ではなく、なんと約30年前にも遡ります。その理由は「女性と良い条件で交際したいと考えたから」という、極めて身勝手で短絡的なものでした。
H被告は周囲に対して長年にわたりエリート医師を演じ続け、自らの虚像を膨らませていきました。そしてその嘘はやがて、個人の交際関係の枠を大きく超え、実際の医療現場へと侵入していくことになります。
巧妙に偽造された履歴書と医療機関の盲点
H被告が勤務していたのは、大阪市北区にあったがん治療専門のクリニックでした。被告が同クリニックに提出した履歴書には、華々しい経歴が並んでいました。
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K大学医学部卒業
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医師免許取得
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K大学附属病院で35年間にわたり勤務
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特技:外科手術(オペ)
名門であるK大学医学部を卒業し、その附属病院で30年以上も臨床経験を積んだベテラン外科医というプロフィールは、誰が見ても非の打ち所がない最高峰の経歴に見えます。クリニックの経営者は採用時の取材に対し、「K大学出身の医師の名前を出すと被告は知っていると答え、まったく疑うことができなかった」と述べています。
日本の医療界において、大学医局のネットワークや学閥のつながりは非常に強い信用を持ちます。被告はその心理的隙を突き、関係者の名前を巧みに会話に織り交ぜることで、関係者を完全に信じ込ませていました。
しかし、実際の診察現場では徐々に不自然な点が現れていました。経営者側も後には「医師としての技量に疑問を抱く部分もあった」と吐露していましたが、発覚するまでの約8か月間、被告の無資格診療は止められることなく続いてしまったのです。
法廷での争点と懲役5年の実刑判決
裁判において、検察側は「患者の生命などに深刻な危険を生じさせかねない行為であり、クリニックの職員のみならず、医師全体に対する国民の信頼を傷つけた」「金欲しさからの犯行であり、厳しい非難を免れない」として、懲役6年10か月を求刑しました。
これに対し、H被告は無免許での医療行為を行った医師法違反の罪については認めたものの、知人から約3000万円をだまし取った詐欺罪については頑なに否認を続けました。「アメリカでがんワクチンを製造・販売するための正当な投資話であり、元本割れのリスクも説明していた」「人をだますことは一切していない」と主張し、最後の意見陳述でも無罪を訴え続けました。
しかし、大阪地裁は被告の主張を「不合理で信用できない」と一蹴しました。判決では以下の点が厳しく指摘されました。
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医療行為の重大性:約8か月にわたり医師を名乗り、169名の患者に問診や投薬を行い、がん免疫療法ワクチンの接種可否を判断していた行為は、患者の命を危険に晒す重大な犯行である。
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詐欺の卑劣さ:自身が医師であり多額の資産や人脈を持っていると被害者に誤信させ、それを利用して多額の現金を詐取した手口は極めて悪質である。
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反省の欠如:法廷においても不合理な弁解と虚偽の供述を繰り返し、真摯な反省の態度が見られない。
結果として、大阪地裁はH被告に対し、懲役5年の実刑判決を言い渡しました。
3. なぜがん患者が無資格者の標的になってしまったのか
本事件の根底には、がんという病気の性質と、それに苦しむ患者やご家族の切実な心理状態があります。なぜ、無資格者の嘘がこれほど多くの患者に受け入れられてしまったのでしょうか。
がん告知に伴う心理的脆弱性
がんは現代の日本において2人に1人が罹患すると言われる身近な病気ですが、同時に命を脅かす恐ろしい病気でもあります。医師からがんの確定診断を受けた患者は、頭が真っ白になり、計り知れない恐怖と絶望に襲われます。
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「手術で取り切れるのだろうか」
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「抗がん剤の激しい副作用に耐えられるだろうか」
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「標準治療ではもう治らないと言われたらどうすればいいのか」
こうした強い不安の中にいるとき、人はどうしても「体に優しくて確実に効く魔法のような治療法」を探してしまいがちになります。被告が標的にしたのは、まさにそうした患者の純粋な治癒への願いでした。
自由診療と「先端医療」の甘い罠
H被告が勤務していたクリニックで行われていたのは、公的医療保険が適用されない「自由診療」によるがん治療でした。
標準治療(手術、抗がん剤治療、放射線治療など)は、世界中の膨大な臨床試験データに基づき、科学的に最も効果と安全性が証明された治療法です。保険適用となる治療はすべて、国の厳しい審査を通過しています。
一方で、自由診療は全額自己負担となる代わりに、国内で保険承認されていない最新の薬剤や独自の治療法を患者の合意のもとで提供することができます。自由診療自体がすべて否定されるべきものではありませんが、中には十分な科学的根拠(エビデンス)が確立されていない段階の治療法を、「副作用がなく、どんながんにも効く夢の先端医療」と誇大に宣伝して高額な費用を請求する医療機関が存在することも事実です。
K大学医学部出身という偽りの権威と、「副作用の少ない最新のがん免疫ワクチン」という魅力的な響きが組み合わさった結果、多くの患者が被告の診察を疑うことなく受けてしまったのです。
4. がん治療における「薬理作用」の仕組みを紐解く
H被告が行っていた医療行為の極めて悪質な点は、患者の命を左右する「がん免疫療法ワクチンの接種可否の判断」や「薬剤の処方」を無資格で行っていたことです。
薬が体の中でどのように働き、どのように病変を攻撃するのかという仕組みを「薬理作用(やくりさよう)」と呼びます。抗がん剤や免疫治療薬の薬理作用は、分子生物学や免疫学の高度な理論の上に成り立っており、体内では極めて複雑でダイナミックな生体反応が巻き起こります。
ここでは、事件で悪用されたがん免疫療法や薬剤が、本来どのようなメカニズムで体に作用するのかを整理して解説します。
私たちの体を守る免疫システムの基本構造
がん免疫療法を理解するためには、まず人間の体に本来備わっている「免疫システム」の働きを知る必要があります。免疫とは、体内に侵入した細菌やウイルス、あるいは体内で発生した異物(がん細胞など)を「非自己(自分ではない敵)」と認識して攻撃・排除する防御機能です。
この免疫の主役を務めるのが、血液中に存在する白血球の仲間たちです。
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樹状細胞(じゅじょうさいぼう):最前線で敵の情報を集める「司令官」のような細胞です。がん細胞の一部を取り込み、その特徴を分析して他の免疫細胞に攻撃命令を出します。
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キラーT細胞(細胞傷害性T細胞):樹状細胞からの命令を受け、実際にがん細胞を狙い撃ちにして破壊する「実戦部隊」の細胞です。
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ナチュラルキラー(NK)細胞:事前の命令がなくても、体の中を常にパトロールし、怪しいがん細胞を見つけ次第攻撃する「単独巡回部隊」です。
健康な人の体内でも、遺伝子の突然変異によって毎日数千個のがん細胞が発生していると言われています。それでも私たちがすぐにがんにならないのは、これらの免疫細胞が連携し、がん細胞が大きくなる前に見つけ出して破壊し続けているからです。
がん細胞が免疫の攻撃を逃れる「ブレーキシステム」
しかし、がん細胞も生き残るために狡猾な手段を身につけます。その代表的な戦略が、免疫細胞に対して「私を攻撃するな」という信号を送り、攻撃にブレーキをかける現象です。これを医学用語で「免疫逃走(めんえきとうそう)」と呼びます。
具体的には、がん細胞の表面には「PD-L1」という分子が発現しています。一方、攻撃役であるキラーT細胞の表面には「PD-1」という受容体(センサー)が存在します。
がん細胞のPD-L1がキラーT細胞のPD-1と結合すると、キラーT細胞内部に強力な攻撃中止シグナルが送られます。これは自動車に例えるなら、敵であるはずのがん細胞が、向かってくるキラーT細胞の「ブレーキペダル」を力任せに踏み込んで急停止させるような仕組みです。このブレーキのせいで、免疫細胞はがん細胞を目の前にしながら攻撃できなくなってしまいます。
免疫チェックポイント阻害薬の薬理メカニズム
この「かかってしまったブレーキを解除する」という画期的な薬理作用を持つのが、近年の標準治療で広く使われている「免疫チェックポイント阻害薬(オプジーボやキイトルーダなど)」です。
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薬剤の結合と阻害:免疫チェックポイント阻害薬は、T細胞のPD-1やがん細胞のPD-L1にあらかじめ結合する特殊な抗体です。
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シグナルの遮断:薬剤がセンサーを覆い隠すことで、がん細胞がT細胞のブレーキペダルを踏めなくさせます。
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攻撃の再開:ブレーキが外れたキラーT細胞は本来の攻撃力を取り戻し、再びがん細胞を認識して破壊できるようになります。
この発見はノーベル生理学・医学賞を受賞するなど、現代医療に革命をもたらしました。
がんペプチドワクチンの薬理作用:アクセルを踏み込む仕組み
一方、今回の事件で被告が語っていた「がんワクチン」は、ブレーキを解除する薬とは異なり、免疫の「アクセルを力強く踏み込ませる」ことを目的とした治療法です。
がんワクチン(主にがんペプチドワクチン)の薬理作用の流れは以下の通りです。
ステップ1:抗原の提示(敵の目印を教える)
がん細胞には、正常な細胞には存在しない、あるいは正常細胞よりも圧倒的に多く存在する特有のタンパク質(がん抗原)があります。この抗原の断片を人工的に合成したものが「ペプチドワクチン」です。
ワクチンを皮下などに注射すると、近くにいる樹状細胞がこれを取り込みます。樹状細胞は「これが今回の攻撃目標である敵の目印だ」と認識し、細胞表面にその目印を掲げます(抗原提示)。
ステップ2:キラーT細胞の教育と増殖
樹状細胞はリンパ節へと移動し、待機しているキラーT細胞に出会います。樹状細胞が「この目印を持つがん細胞を攻撃せよ」と情報を伝達すると、その目印を狙える特定のキラーT細胞だけが急速に活性化し、爆発的に数を増やします。
ステップ3:全身のがん病変への総攻撃
増殖したキラーT細胞は血液の流れに乗って全身をめぐり、体内のがん組織へと侵入します。そして、樹状細胞から教えられた通りの目印(ペプチド抗原)を持つがん細胞だけを正確に発見し、パーフォリンやグランザイムという細胞破壊物質を放出して、がん細胞をアポトーシス(細胞死)へと追い込みます。
このように、がんワクチンは「正常な組織を傷つけず、特定の目印を持つがん細胞だけを狙い撃ちにする」という非常に合理的で美しい薬理作用の理論を持っています。
薬理作用が引き起こす重大な副作用(免疫関連有害事象:irAE)
「免疫の力を利用する治療法だから、抗がん剤のような副作用は一切ない」という説明がなされることがありますが、これは薬理学的に明白な誤りです。
免疫システムを活性化させるということは、それまで厳密に保たれていた免疫のバランス(自己と非自己の境界線)を揺るがすことを意味します。アクセルを踏みすぎたり、ブレーキを解除しすぎたりすると、暴走した免疫細胞が自分自身の正常な臓器まで「敵」と見誤って攻撃を始めてしまいます。
これを「免疫関連有害事象(irAE:immune-related Adverse Events)」と呼びます。
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間質性肺炎:肺の組織が免疫によって攻撃され、炎症を起こして線維化し、激しい呼吸困難に陥る。最悪の場合、急速に窒息死に至る。
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重症大腸炎・激しい下痢:腸の粘膜が破壊され、多量の出血や腸管穿孔(腸に穴が開くこと)を引き起こす。
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劇症1型糖尿病:インスリンを分泌する膵臓のランゲルハンス島β細胞が一晩にして破壊され、急激な高血糖から昏睡に陥る。一生涯のインスリン注射が不可欠となる。
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自己免疫性肝炎・心筋炎:肝臓や心臓の筋肉が免疫に攻撃され、劇症肝不全や致死的不整脈、心原性ショックを引き起こす。
これらの副作用は、投与直後だけでなく、数週間から数か月が経過した後に突然発症することもあります。しかも、初期症状は「軽い咳」「倦怠感」「軟便」といった風邪や疲れと見分けがつかない些細な変化であることが多いのです。
5. 無免許による処方・接種判断がどれほど危険か
薬理作用と副作用のメカニズムを理解すると、H被告が行っていた「無免許での問診、処方、ワクチンの接種可否判断」が、どれほど患者の生命を危険に晒す凶行であったかが浮き彫りになります。
医師の「問診」は生体情報の超高度な分析作業である
診察室で行われる問診は、単なる世間話や体調の聞き取りではありません。医師は患者と対話しながら、頭の中で膨大な医学知識を総動員して以下のような確認を瞬時に行っています。
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患者の既往歴(過去にかかった病気)に自己免疫疾患(リウマチや潰瘍性大腸炎など)がないか。もしあれば、免疫を刺激する治療によって持病が致命的に悪化する危険がないか。
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現在のバイタルサイン(血圧、脈拍、体温、酸素飽和度)に異常はないか。
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血液検査データの白血球数、リンパ球数、肝機能値、腎機能値、炎症反応(CRP)のわずかな変動から、体内で目に見えない副作用の兆候が始まっていないか。
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患者が日常的に服用している他の薬剤との相互作用(飲み合わせ)はないか。
薬物は肝臓の代謝酵素(CYPなど)で分解されたり、腎臓から尿中に排泄されたりします。もし代謝経路がバッティングする薬を不用意に一緒に処方すれば、薬の血中濃度が何倍にも跳ね上がり、急性中毒を引き起こして命を落とすことすらあります。
本物の医師は、医学部での6年間の過酷な教育、国家試験の合格、そして臨床研修や専門医トレーニングでの何千時間もの実践経験を通じて、この「薬理学と生体反応のつながり」を体に叩き込んでいます。
それを一切学んでいない無資格の素人が、「K大学医学部卒」の看板を掲げて白衣を着て座り、患者の「顔色が良いから大丈夫」「数値を少し見て問題なさそうだから注射しましょう」と適当な判断を下していたのです。これは、目隠しをしたまま大型ダンプカーを運転して高速道路を疾走するようなものであり、いつ死者が出てもおかしくない極限の危険行為でした。
幸いにも今回の裁判記録において投与による直接の死亡被害は報告されていませんが、それは単なる偶然の結果に過ぎず、被告の行為は未必の故意による生命への侵害に近い暴挙であったと言えます。
医療を騙る架空投資詐欺の罪深さ
さらにH被告は、医師という虚構の社会的信用を悪用して、「米国で新しいがんワクチンを製造・販売する」という架空の事業を持ちかけ、知人から約3000万円もの現金を詐取しました。
がん治療の進歩には多額の研究費が必要であり、バイオベンチャーや新薬開発への投資は世界中で活発に行われています。被告はそうした世の中の潮流や専門用語を悪用し、「自分は著名な医師であり、特別な新薬開発の利権に関わっている」と信じ込ませました。
病気に苦しむ患者を実験台のように扱い、先端医療の夢を語って他者の財産を奪う行為は、医療機関の信用を地に堕とし、真面目に創薬研究に励む研究者や医師たちへの冒涜でもあります。大阪地裁が「卑劣な犯行」「反省が見られない」と厳しく断罪したのは当然の帰結でした。
6. 私たちが身を守るために知っておくべき自衛策
今回の事件は、医療機関側の採用チェックの甘さという構造的問題を露呈させました。しかし、私たち患者や家族の側も、「白衣を着ているから」「立派なクリニックの看板を掲げているから」と無条件に信じ込むのではなく、自らの身を守る知識を持っておく必要があります。
ここでは、不審な医療者や危険な医療行為を見抜くための実践的な自衛策をご紹介します。
1. 厚生労働省の「医師等資格確認検索」を活用する
日本国内で正規に医師免許を取得している医師は、厚生労働省が管理するデータベースにすべて登録されています。このデータベースは一般にインターネット上で公開されており、誰でも無料で検索することができます。
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検索画面で「医師の氏名」を入力する。
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該当する医師が存在すれば、氏名、性別、登録年(医師免許を取得した年)が表示される。
もし、高名な医師を名乗っているにもかかわらずこの検索システムに名前が一切出てこない場合、その人物は医師免許を持っていないか、旧姓などの理由で照合できない可能性があります。少しでも不信感を抱いた際には、まずこの公的な確認を行うことが極めて強力な自衛策となります。
2. 学会の専門医・指導医名簿を確認する
特定の分野(がん治療、外科手術など)で長年の経験を積んだ医師であれば、通常は関連する主要な学会(日本外科学会、日本臨床腫瘍学会、日本癌治療学会など)の「認定医」「専門医」「指導医」などの資格を持っています。
これらの学会のホームページでも、専門医の氏名や所属施設が一般公開されています。「K大学病院で35年間外科医をしていた」と自称する人物であれば、外科学会などの名簿に名前が掲載されているのが極めて自然です。こうした第三者機関の客観的な記録と照らし合わせることが大切です。
3. 「絶対治る」「副作用がない」という甘い言葉を疑う
医学において、「100%確実に治る」「絶対に副作用がない」という治療法は存在しません。いかに優れた新薬であっても、薬理作用がある以上、必ず何らかの逆作用(副作用)や有効率の限界が伴います。
特に自由診療の現場において、以下のような説明がなされた場合は極めて強い警戒が必要です。
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標準治療を頭ごなしに否定し、自院の自由診療だけを強く勧めてくる。
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「最新の免疫療法だから副作用の心配は全くありません」と断言する。
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治療にかかる総額費用や、期待できる奏功率(がんが縮小する割合)の客観的データを提示しない。
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契約や支払いを急かしてくる。
4. 必ずセカンドオピニオンを受ける
主治医以外の別の医療機関の専門医に意見を求める「セカンドオピニオン」は、患者に正当に認められた権利です。
自由診療のクリニックで高額な治療や特殊な免疫療法を提案されたときは、決してその場ですぐに契約せず、「かかりつけの病院の主治医」や「がん診療連携拠点病院のセカンドオピニオン外来」にその治療法について相談してください。
信頼できる真っ当な医師であれば、患者がセカンドオピニオンを求めることを嫌がることはありません。もし「他の医者に話すと反対されるから言わない方がいい」などと口止めしてくる医師がいたとすれば、その時点でその治療には重大な欺瞞があると考え、関係を断つべきです。
7. まとめ
大阪のクリニックで起きた無資格者によるがん診療事件は、懲役5年の実刑判決という司法判断が下されました。しかし、判決が出たからといって、無資格の偽医師に体を預けさせられた169人もの患者が味わった精神的苦痛や健康への不安が完全に消えるわけではありません。
30年前の交際目的というあまりにも浅薄な動機から始まった嘘は、雪だるま式に膨らみ、最後は人の生き死にが関わる神聖な医療の現場を汚す最悪の犯罪へと発展しました。
今回の事件を通じて私たちが強く心に刻むべき教訓は、以下の点に集約されます。
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医療行為と薬理作用の重み:がん治療薬や免疫ワクチンは、体内の極めて精緻な免疫ネットワークを人為的に操作する強力なツールです。そこには確かな効果の可能性とともに、正常な臓器を破壊しかねない重大な副作用(irAE)のリスクが常に隣り合わせで存在します。これらを正確にコントロールできるのは、厳しい修練を積んだ正規の医師だけです。
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医療機関側のガバナンスの必要性:医師免許の原本確認や公的資格検索システムの徹底など、医療機関がスタッフを採用する際の本人確認・資格確認の手続きは、何重にも厳格化されなければなりません。「名門大学のOBを知っているから」という属人的な信用だけで診察室に立たせてしまう脆弱性は、医療界全体で根絶すべき課題です。
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患者自身による客観的な防衛:病気の告知によって心が弱っているときこそ、甘い言葉や華麗な肩書をそのまま鵜呑みにせず、厚生労働省の資格検索システムや学会の名簿を活用し、信頼できる拠点病院でセカンドオピニオンを仰ぐ冷静な姿勢が命を守ることにつながります。
医療は、患者と医師の絶対的な信頼関係があって初めて成り立ちます。その信頼を食い物にするような偽医師の存在を許さず、すべての患者が安全で科学的根拠に基づいた正しい医療にアクセスできる社会を守り続けていかなければなりません。
