心不全と高血圧治療:エンレストの革新的な仕組みと効果を詳しく解説

心不全と高血圧治療:エンレストの革新的な仕組みと効果を詳しく解説

私たちの健康を脅かす大きな要因の一つに、心疾患や血圧の異常があります。その中でも「心不全」は、あらゆる心疾患の終着駅とも呼ばれるほど深刻な状態であり、生活の質を著しく低下させるだけでなく、命に関わることも少なくありません。また、「高血圧」も自覚症状が少ないながらも、放置すれば重大な合併症を引き起こすリスクを持っています。

こうした心臓や血管の病気に対して、画期的な治療薬として登場したのが「エンレスト(一般名:サクビトリルバルサルタンナトリウム水和物)」です。スイスのノバルティス社によって創製されたこの薬剤は、これまでの薬とは異なる新しい仕組みを持っており、心不全や高血圧の治療に大きな変化をもたらしています。

本記事では、エンレストがどのような仕組みで体に作用し、どのような効果をもたらすのか、臨床試験の結果や最新の情報を交えて、専門用語を分かりやすく整理しながら解説します。

エンレストとはどのような薬なのか

エンレストは、「アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬」という分類に属する薬剤です。この薬剤の最大の特徴は、1つの薬の中に「ネプリライシン阻害作用」と「アンジオテンシンⅡタイプ1受容体拮抗作用」という2つの異なる薬理作用を兼ね備えている点にあります。

服用されたエンレストは、体内で「サクビトリル」と「バルサルタン」という2つの成分に分かれます。これらがそれぞれの役割を果たすことで、心臓への負担を減らし、血圧を安定させる効果を発揮します。

2つの成分が同時にはたらく仕組み

エンレストの持つ2つの作用について、それぞれの成分が体にどのような影響を与えるのかを詳しく見ていきましょう。

サクビトリル(ネプリライシン阻害作用)の役割

サクビトリルは、体内で代謝されて活性体となり、「ネプリライシン」という酵素の働きを妨げます。ネプリライシンは本来、体の中にある「ナトリウム利尿ペプチド」という物質を分解する性質を持っています。

ナトリウム利尿ペプチドは、体にとって非常に有益な働きをする物質です。具体的には、血管を広げる作用、尿としてナトリウムや水分を排出させる利尿作用、心筋が厚くなるのを防ぐ抗肥大作用、そして組織が硬くなるのを防ぐ抗線維化作用などを持っています。

サクビトリルがネプリライシンの働きを抑えることで、ナトリウム利尿ペプチドが分解されにくくなり、血中濃度が上昇します。その結果、これらの多面的な保護作用が強化され、心臓や血管にかかる負担が軽減されるのです。

バルサルタン(アンジオテンシンⅡタイプ1受容体拮抗作用)の役割

もう一つの成分であるバルサルタンは、以前から高血圧治療に使用されてきた成分ですが、エンレストにおいても重要な役割を担っています。

バルサルタンは、血管を収縮させたり、体内に水分やナトリウムを溜め込んだりする「アンジオテンシンⅡ」という物質の働きを阻害します。具体的には「アンジオテンシンⅡタイプ1受容体」という場所にバルサルタンが結合することで、アンジオテンシンⅡの信号をブロックします。

これにより、血管の収縮が抑えられ、腎臓でのナトリウムや水分の貯留が抑制されます。さらに、心筋が肥大することや、心臓や血管の形が異常に変化してしまう「リモデリング」を抑える効果ももたらします。

このように、エンレストは「体に良い物質を増やす」作用と「体に悪い影響を与えるシステムを抑える」作用を同時に行うことで、優れた治療効果を発揮するのです。

心不全治療におけるエンレストの重要性

心不全は、心臓のポンプ機能が低下し、全身に十分な血液を送り出せなくなる状態を指します。慢性的に進行し、最終的には死に至ることもある難治性の疾患です。

心不全がもたらす影響

心不全の患者さんは、呼吸困難や強い倦怠感、むくみ(浮腫)などの症状に悩まされます。これにより、階段の上り下りや歩行といった日常的な動作が困難になり、生活の質(QOL)が著しく損なわれます。また、致死的な不整脈や突然死のリスクも高いとされています。

現在、生活習慣病の増加や高齢化に伴い、心不全の患者数は急増しており、医療現場でも大きな課題となっています。そのため、これまでの標準的な治療に加えて、さらに生命予後(生存率)を改善し、入院を減らすことができる新しい薬が強く求められてきました。

臨床試験で示された有効性

エンレストは、海外で行われた大規模な臨床試験(PARADIGM-HF試験)において、これまでの標準治療薬であったエナラプリルと比較して、心血管死や心不全による入院を減少させることが証明されました。

日本国内においても、標準的な治療を受けている慢性心不全の患者さんを対象とした試験が行われ、その有効性と安全性が確認されました。これを受けて、2020年6月より国内でも慢性心不全の治療薬として使用が開始されています。

小児の心不全に対する新たな展開

心不全は大人だけの病気ではありません。生まれつきの心疾患などが原因で、子供が心不全を患うこともあります。

エンレストはその作用機序から、小児の慢性心不全にも有効であることが期待され、開発が進められました。左室収縮機能障害を持つ小児患者を対象とした試験(PANORAMA-HF試験)の結果、有効性と安全性が確認されました。

その結果、2024年2月には小児に対する用法・用量の追加が承認されました。さらに、錠剤を飲むことが難しい小さなお子さんのために、粒状の錠剤(粒状錠)も開発され、2024年3月に国内で承認されています。これにより、幅広い年齢層の患者さんがこの治療の恩恵を受けられるようになりました。

エンレスト-1

高血圧症治療への応用と降圧効果

エンレストは心不全だけでなく、高血圧症の治療薬としても承認されています。日本では2021年9月に高血圧症への効能追加が認められました。

なぜ高血圧にエンレストが必要なのか

高血圧の治療では、多くの薬が登場していますが、依然として目標とする血圧まで十分に下げきれていない患者さんが存在します。エンレストは、ネプリライシンを阻害することによる降圧効果と、アンジオテンシンⅡの働きを抑える効果の組み合わせにより、強力かつ安定した血圧低下をもたらします。

日本人を含む試験データ

日本人を含むアジア人を対象とした試験(A2219試験)や国内の検証試験(A1306試験)では、1日1回の投与で24時間にわたって安定した降圧効果が得られることが確認されています。

具体的に、血圧がどれくらい下がったのかを示す試験データを見てみましょう。試験では、座った状態で測定した血圧(坐位血圧)のベースライン(投与前)からの変化量を比較しました。

  • 拡張期血圧(下の血圧)の変化量

    • 100mg投与群:マイナス11.53 mmHg

    • 200mg投与群:マイナス10.98 mmHg

    • 400mg投与群:マイナス12.45 mmHg

    • (これに対し、偽薬(プラセボ)群はマイナス3.69 mmHgでした)

  • 収縮期血圧(上の血圧)の変化量

    • 100mg投与群:マイナス16.83 mmHg

    • 200mg投与群:マイナス17.54 mmHg

    • 400mg投与群:マイナス20.35 mmHg

    • (これに対し、偽薬(プラセボ)群はマイナス4.97 mmHgでした)

これらの数値から分かる通り、どの用量においても偽薬と比較して統計学的に有意な血圧の低下が認められました。特に400mg群では、200mg群を上回る降圧効果が確認されています。

また、継続して実施された試験では、200mgで開始した患者さんのうち、約60%の方がより高い効果を求めて400mgへ増量していました。用量を増やしても有害事象(副作用)が目立って増えることはなく、忍容性(薬の受け入れやすさ)も良好であることが示されています。これらの結果から、成人の高血圧症においては、通常1回200mg、最大1回400mgを1日1回服用することとされています。

エンレストの排泄率

尿中排泄率

薬がしっかり働いた後、どのくらい尿として体の外へ出されるのか、日本人の健康な成人男性(16名)を対象に調査が行われました。

サクビトリルバルサルタンを200ミリグラム、または400ミリグラムを空腹時に1回服用した結果、服用から96時間後までに、以下の割合で尿中に排出されることがわかりました。

  • サクビトリラート(サクビトリルの活性体):約55%

  • バルサルタン:約11%

「サクビトリラート」とは、飲み込んだサクビトリルが体内で変化し、実際に薬としての効果を発揮する状態になったもののことです。半分以上の55%が尿からしっかり排出されることが確認されています。


便中排泄率

次に、海外での研究データを見てみましょう。ここでは尿だけでなく、便から排出される割合も含めた「体全体のトータルの流れ」が詳しく調べられています。

1. サクビトリル成分の排泄状況

外国人4名を対象とした調査では、サクビトリルバルサルタン200ミリグラムを服用した後の168時間(1週間)の累計で、以下の結果が出ました。

  • 尿中からの排出:60.7%

  • 便中からの排出:41.8%

これを見ると、サクビトリルの成分は尿と便の両方からバランスよく排出されていることがわかります。

2. バルサルタン成分の排泄率

一方、バルサルタンのみ(80ミリグラム)を服用した外国人5名での調査では、排出のルートが大きく異なることがわかりました。

  • 尿中からの排出:約13%

  • 便中からの排出:約86%

バルサルタンについては、その多く(86%)が便として体の外へ出ていくという特徴があります。

 

  • 日本人でも、サクビトリル成分の約55%がしっかり尿から出ている。

  • バルサルタンは主に便(約86%)から排出される。

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まとめ

エンレストは、1つの薬剤で「良い物質を活かし、悪いシステムを抑える」という2つのアプローチを同時に行う、新しい仕組みの治療薬です。

心不全においては、生命予後の改善や入院リスクの軽減といった大きな成果を上げており、大人だけでなく子供の治療にも光を当てています。また、高血圧治療においても、1日1回の服用で24時間安定した降圧効果を発揮し、多くの患者さんの血圧管理に貢献しています。

心不全や高血圧は、長期間にわたる付き合いが必要な病気です。エンレストのような新しい薬理作用を持つ薬剤が登場したことで、治療の選択肢が広がり、より良い生活を送れる可能性が高まっています。

 

エンレスト錠の腎機能保護作用/急性心不全への効果について

ネプリライシン阻害薬による血中NT-proBNP低下作用

急性心不全患者において、ネプリライシン阻害薬(サクビトリルとバルサルタンの合剤)の有効性が報告されました。急性心不全で入院した881人(平均年齢61歳)に対して、ネプリライシン阻害薬(441例;サクビトリル97mg/バルサルタン103mg:1日2回)またはエナラプリル10mg(441例;1日2回)が投与された後の、心筋の機能を評価するマーカー(NT-proBNP値)の変化率が公開されました。

注:ネプリライシンとはナトリウム利尿ペプチド、ブラジキニン、アドレノメジュリンやその他の血管作動性ペプチドを減少させる酵素です。サクビトリル(ネプリライシン阻害剤)はこの酵素を阻害することで、上記のペプチド量を保ち、血管拡張作用、ナトリウム排泄作用、細胞外液の減少などの作用を示すことで心不全症状を改善する医薬品です。

(外海で承認されているものの、国内では承認されておりません)

ネプリライシン阻害薬による血中NT-proBNP低下作用について

NT-proBNPの変化率(投与開始後4週目、8週目の比率)

ネプリライシン阻害薬群:ー46.7%

エナラプリル群:-25.3%

★:特に投与開始直後(1週間時点)でのネプリライシン阻害薬の変化率が高いことが示されています。

注:NT-proBNPとは心臓の筋肉細胞内で産生されるホルモンが分解されたものです(NT-proBNPは血液中を流れています)。心臓壁ストレスによってNT-proBNPは増加する傾向にあり、心不全とNT-proBNP濃度との間には相関関係があります。ネプリライシン阻害薬服用群では血中のNT-proBNPが半分程度まで減少することから心不全の改善が示されています。

レニンアンジオテンシン阻害剤の標準量を服用している慢性腎不全患者の腎機能に対するネプリライシン阻害薬の効果について

 

ネプリライシン阻害薬服用群およびエナラプリル服用群ともに腎機能の低下、高カリウム血症、低血圧、血管性浮腫といった有害事象に関しては有意差がなく、投与中止の割合も両群間で同程度であったと記されています。

筆者は上記の結果をうけて、「左室駆出率低下を伴う急性心不全患者においては、ネプリライシン阻害薬の投与を開始して、NT-proBNPの改善をはかるべきです」と記しています。

2018年5月18日 記載

エンレスト(ネプリライシン阻害薬)による腎保護作用

海外で使用されている心不全治療薬Entrest(サクビトリルとバルサルタンの合剤/治験薬コードLCZ696)が腎保護作用の指標である推算糸球体ろ過量(eGFR)の低下を有意に抑制するというデータが開示されました。

抗心不全薬ネプリライシン阻害薬(LCZ696)に関する臨床データ

Entrest(サクビトリルとバルサルタンの合剤)とはネプリライシン阻害剤(ARNI)であるサクビトリルとARBの合剤で、心不全治療薬(左心室駆出率の改善)として用いられています。ネプリライシンとはナトリウム利尿ペプチド、ブラジキニン、アドレノメジュリンやその他の血管作動性ペプチドを減少させる酵素です。サクビトリル(ネプリライシン阻害剤)はこの酵素を阻害することで、上記のペプチド量を保ち、血管拡張作用、ナトリウム排泄作用、細胞外液の減少を引き起こします。

lcz696-neprilysin

lcz696-neprilysin

今回の報告では、1日2回LCZ696(サクビトリル97mg/バルサルタン103mg)を服用した群とエナラプリル10mgを服用した群におけるeGFRおよび糖尿病の有無を比較検討したデータです。

ARBの違いを代謝経路、インバースアゴニスト、尿酸低下作用、インスリン抵抗性改善作用などの複合要素から検討する

結果

非糖尿病群:eGFRの低下率1.1mL/min/1.73㎡/年

糖尿病群:eGFRの低下率2.0mL/min/1.73㎡/年

糖尿病群では腎機能の指標であるeGFRの低下率が2倍速い

メトグルコ服用と体重増減について

LCZ696服用群のeGFR低下抑制率:-1.8 mL/min/1.73㎡/年

エナラプリル服用群のeGFR低下抑制率:-1.3 mL/min/1.73㎡/年

LCZ696群の方が腎機能低下抑制効果が高い

レニンアンジオテンシン阻害剤の標準量を服用している慢性腎不全患者の腎機能に対するネプリライシン阻害薬の効果について

糖尿病を合併した心不全患者におけるLCZ696の効果:0.6 mL/min/1.73㎡/年

糖尿病を合併していない心不全患者におけるLCZ696の効果:0.3 mL/min/1.73㎡/年

糖尿病を合併している心不全患者の方がLCZ696の恩恵が大きかった

メトグルコ服用と体重増減について

糖尿病患者においてネプリライシン阻害剤の効果が高かったことについて、心不全の経過またはHbA1cに対する治療効果によっては説明できなかった。

 

レニン・アンジオテンシン系阻害薬が最大限投与されている患者においてもネプリライシン阻害薬を追加することは糖尿病性の慢性腎不全で生じる腎機能低下を抑制することが示された。

 

LCZ696(サクビトリルとバルサルタンの合剤)はEntrestという商品名で使用されており、欧州では左心室駆出率が低下した慢性心不全患者において、米国では収縮不全を伴う心不全患者に使用されております。国内では、慢性心不全患者を対象として第Ⅲ相試験が行われております。

 

 

 

 

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