突発性難聴の症状・治療薬の仕組みと早期受診の重要性
ある日突然、耳が聞こえなくなる――。そんな衝撃的な症状で始まる「突発性難聴」は、現代社会において決して珍しい病気ではありません。しかし、その正体や治療法について正しく理解している方は少ないのが現状です。
本記事では、突発性難聴の初期症状から、最新の薬理学的な治療メカニズム、臨床データに基づいた治癒率までを徹底的に解説します。
1. 突発性難聴とは何か? その初期症状と自覚症状
突発性難聴は、文字通り「ある時、突然に」耳の聞こえが悪くなる感音難聴です。医学的な定義では「突然に発症した原因不明の高度難聴」とされています。
初期症状の現れ方
多くの患者さんは、発症の瞬間を明確に覚えています。「朝起きたら聞こえなかった」「電話中に急に音が遠のいた」といった具合です。この「即時的」な発症こそが、突発性難聴の最大の特徴です。
主な自覚症状
難聴以外にも、以下のような随伴症状が高い確率で現れます。
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耳鳴り(約90%): 難聴と前後して、金属音や電子音のような耳鳴りが始まります。
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耳閉塞感: 耳が詰まったような、水が入ったような感覚です。軽症の場合、難聴自体の自覚よりも「耳が詰まった感じが取れない」という訴えが先行することがあります。
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めまい・吐き気(約40%): 強い回転性のめまいを伴うことがあります。めまいを伴うケースは、内耳のダメージが広範囲に及んでいる可能性を示唆しており、重症度が高い傾向にあります。
症状の進行について
突発性難聴は、発症から数日(一般に72時間以内)で症状が完成します。その後、何もしないで放置して症状がさらに悪化し続ける、あるいは数週間後に再発するといったことは、本来の突発性難聴では原則として起こりません。もし症状が何度も繰り返す場合は「メニエール病」など別の疾患を疑う必要があります。
2. なぜ聞こえなくなるのか? 推定される原因と病態
残念ながら、突発性難聴の根本的な原因はまだ完全には解明されていません。しかし、現在有力視されているのは「循環障害説」と「ウイルス感染説」の2つです。
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循環障害説: 内耳に血液を送る細い血管(迷路動脈)が血栓などで詰まったり、痙攣を起こしたりすることで、音を感知する細胞が酸欠状態になり、壊死してしまうという考え方です。
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ウイルス感染説: ヘルペスウイルスなどが内耳の神経に炎症を引き起こすという説です。
最新の研究では、これらによって細胞内に「ストレス制御機構」の異常が生じ、活性酸素が大量に発生して内耳の細胞を傷つける「酸化ストレス」が、難聴の正体ではないかとも考えられています。
3. 治療薬の薬理作用
突発性難聴の治療には、主に「ステロイド剤」と「血管拡張薬」が用いられます。これらがどのようにして耳の細胞に働きかけるのか、その高度なメカニズムを紐解いていきましょう。
① 副腎皮質ステロイド薬:炎症を鎮める「最強の消火器」
成分名:プレドニゾロン(プレドニン)、デキサメタゾン(デカドロン) など
ステロイドは、細胞内にある「糖質コルチコイド受容体(GR)」というタンパク質と結合することで効果を発揮します。
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作用薬としての役割: ステロイド薬そのものが「受容体に結合する物質」となり、細胞の深い部分にある受容体に鍵を差し込むように結合します。
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薬理作用: 受容体と結合したステロイドは、細胞の核の中に入り込み、炎症を引き起こす物質(サイトカイン)の産生を遺伝子レベルで抑制します。内耳で起きている激しい「炎症の火」を、根本から消し止める役割を果たします。
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開発の経緯: 元々は全身の炎症性疾患に使用されてきましたが、内耳のダメージが強い炎症反応を伴うことが分かり、突発性難聴の「標準治療」として定着しました。
② プロスタグランジンE1(PGE1)製剤:血流を改善する「道路拡張作業」
成分名:アルプロスタジル(リプル、パルクス) など
循環障害が原因である場合、内耳への血流を再開させることが不可欠です。
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受容体と薬理作用: PGE1は、血管壁にある「EP受容体(特にEP2およびEP4受容体)」に作用します。これにより、血管の平滑筋が緩んで血管が広がり、さらに血液を固まりにくくする(血小板凝集抑制)作用を発揮します。
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有意性の臨床データ: 手引きに引用された疫学調査(3,419例)では、特に「Grade 3以上(高度難聴以上)」の重症例において、ステロイド剤とPGE1を併用投与した群は、ステロイド単独群よりも有意に聴力予後が改善したというデータがあります。
③ ATP製剤:血流改善作用:アデホス
成分名:アデノシン三リン酸二ナトリウム(アデホス)
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「エネルギーの直接補給」と「血流の改善」
アデノシン三リン酸(ATP)は、生体内のあらゆる細胞が活動するために必要な「エネルギーの通貨」です。突発性難聴の治療においては、主に以下の2つの作用が重要視されます。
① 血管拡張作用による血流改善
アデホスが体内で分解される過程で生成されるアデノシンなどは、血管の平滑筋を弛緩させ、血管を広げる働きがあります。
- 内耳への影響: 内耳(蝸牛など)は非常に細い終末血管から栄養を得ているため、血流障害が起こりやすい部位です。アデホスは内耳の微細な血管の血流を増やし、酸素や栄養素が細胞に届きやすくします。
② 細胞の代謝活性化
音を電気信号に変える「有毛細胞」は、非常に多くのエネルギーを消費します。
- エネルギー補給: ダメージを受けた細胞が修復活動を行うためには大量のATPが必要です。外因的にATPを補うことで、細胞の代謝機能を高め、機能回復を促します。
④ビタミンB12製剤:「神経修復」:メチコバール(メコバラミン)
「神経の修復」と「核酸・タンパク質合成の促進」
メコバラミンは、ビタミンB12の中でも特に「活性型」と呼ばれる種類で、他のビタミンB12よりも神経組織への移行が良い(届きやすい)のが特徴です。
① 神経修復・再生の促進
神経細胞内での核酸(DNA・RNA)やタンパク質の合成を促進します。
- 髄鞘(ずいしょう)の修復: 神経の繊維を包んでいる「髄鞘(電気コードの絶縁体のようなもの)」の主成分であるリン脂質の合成を促します。突発性難聴によって傷ついた聴神経の修復を助け、神経伝達をスムーズにします。
② 軸索再生の促進
神経細胞の本体から伸びる「軸索」という突起の再生を促進する作用があります。これにより、傷ついた末梢神経(聴神経)の変性を抑え、回復を早めます。
4. 臨床データで見る「治療の成功率」と「時間の壁」
ブログを読んでいる皆さんに最も強調したいのが、「1週間以内の受診」がいかに重要かという点です。
予後を分けるパーセント
手引きに記載された大規模な疫学調査によると、突発性難聴の回復見込みは一般に「3分の1ルール」と呼ばれます。
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約3分の1: 完全に元の聞こえまで治癒する。
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約3分の1: 改善はするが、難聴や耳鳴りが残る。
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約3分の1: ほとんど改善せず、難聴が残存する。
早期治療の有意性
治療開始が早ければ早いほど、この「治癒」の確率は上がります。
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7日以内の治療開始: 予後良好因子(治りやすい条件)として明確に示されています。
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2週間以降の治療: 米国耳鼻咽喉科頭頸部外科学会(AAO-HNS)のガイドラインでは、発症から2週間を過ぎると治療効果が限定的になり、4〜6週間を過ぎると有効性が極めて低くなると明記されています。
5. 先進的な治療法:ステロイド鼓室内注入療法とIGF1
既存の全身投与(飲み薬や点滴)で効果が不十分な場合、あるいは糖尿病などの持病でステロイドの全身投与ができない場合に、新しい選択肢が登場しています。
ステロイド鼓室内注入療法
鼓膜の奥(中耳腔)に直接ステロイドを注射する方法です。
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メリット: ステロイドが「正円窓」という窓を通じて内耳へ直接浸透するため、内耳内の薬剤濃度を全身投与より高く保つことができます。
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臨床データ: 初期治療として全身投与と同等以上の効果があるという報告があり、特に「サルベージ治療(救済治療)」として、初回の点滴で治りきらなかったケースに約10〜数10%の上乗せ効果が期待できるとされています。
ヒト・リコンビナント・インスリン様成長因子(IGF1)
現在、日本で革新的な研究が進んでいる治療法です。
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薬理作用: 内耳細胞にある「IGF-1受容体」をリガンドとして刺激し、細胞の死(アポトーシス)を防ぐとともに、細胞の再生を促す働きが期待されています。既存の薬では太刀打ちできなかった重症例に対する切り札として注目されています。

6. 治療薬を使用する際の副作用とリスク
効果の高い治療薬には、必ず注意すべき側面があります。
ステロイド剤の副作用
全身投与(点滴・内服)の場合、以下のリスクがあります。
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血糖値の上昇: 糖尿病の既往がある方は急激に悪化することがあります。
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血圧上昇、胃潰瘍: 胃粘膜を保護する薬と併用するのが一般的です。
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不眠、精神的な不安感: 一時的に興奮状態になることがあります。
ステロイド鼓室内注入の副作用
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鼓膜穿孔: 注射した部位の穴が塞がらず、数%の確率で残ることがあります。
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一時的な痛みやめまい: 注射の瞬間に強いめまいを感じることがあります。
PGE1製剤の副作用
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血管痛、顔面紅潮: 血管を広げる作用があるため、点滴部位が痛んだり、顔が赤くなったりすることがあります。
7. まとめ:異変を感じたら「迷わず病院へ」
突発性難聴は、**「耳の心筋梗塞」**とも言えるほど、一分一秒を争う疾患です。音を感知する「有毛細胞」は一度死んでしまうと再生が非常に難しいため、細胞がまだ生き残っている「発症後1週間以内」に、どれだけ適切なリガンド(薬)を受容体に届け、消火作業を行えるかが運命を分けます。
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突然の聞こえの悪さ、耳の詰まりを感じたら、翌朝を待たずに耳鼻咽喉科を受診してください。
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ステロイド剤を中心とした標準治療に加え、重症度に応じたPGE1の併用や鼓室内注入療法が、あなたの聴力を守る鍵となります。
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臨床データが示す通り、3分の1は完治が望める病気です。諦めずに専門医の診察を受けることが大切です。

