ぐっすり眠るために知っておきたい睡眠の仕組みと不眠症治療薬
「寝つきが悪い」「夜中に何度も目が覚める」「寝ても疲れが取れない」といった悩みを抱えている方は、意外と多いのではないでしょうか。人生の約3分の1を占める睡眠は、私たちの心身の健康にとって非常に重要です。
今回は、睡眠のメカニズムから、不眠症の原因、そして最新の薬物療法まで、専門的な内容をわかりやすくお伝え致します。特に、近年登場した新しいタイプのお薬や、睡眠と認知症の意外な関係についても触れていきますので、ぜひ最後までお付き合いください。
そもそも、人はなぜ眠るのでしょうか?
私たちは毎日、当たり前のように眠り、そして目覚めます。このリズムは、主に3つの仕組みが複雑に絡み合ってコントロールされています。
1. 脳の疲れを取る「睡眠恒常性維持機構」
これは簡単に言うと、「疲れたから眠る」という仕組みです。
目覚めている時間が長くなると、脳にはプロスタグランジンD2などの「睡眠物質」が溜まっていきます。これがたまると、脳の興奮を抑える「ガンマアミノ酪酸(GABA:ギャバ)」という物質の働きが強まり、眠気がやってきます。ぐっすり眠ることで疲労物質が解消され、朝にはすっきりと目覚めることができます。
2. 体のリズムを刻む「体内時計機構」
もう一つは、「夜になったから眠る」という仕組みです。
脳の視交叉上核(しこうさじょうかく)という場所にある体内時計が、約24時間のリズムを刻んでいます。実は、人間の体内時計は24時間よりも少し長く設定されています。そのため、光のない真っ暗な部屋で過ごしていると、生活リズムが少しずつ後ろにずれていってしまいます。
しかし、毎朝起床直後に太陽の光を浴びることで、このズレがリセットされ、地球の24時間周期に合わせて生活できるのです。
この調整に大きく関わっているのが、「メラトニン」というホルモンです。別名「睡眠ホルモン」とも呼ばれ、光を浴びてから約14〜16時間後に分泌が高まります。メラトニンが増えると、体温や脈拍、血圧が下がり、自然と眠りにつく準備が整います。夜遅くまで強い光(スマホやパソコンなど)を浴びていると、メラトニンの分泌が抑えられてしまい、寝つきが悪くなる原因となります。
3. 起きている状態を保つ「覚醒調節機構」
そして3つ目が、覚醒(起きている状態)をコントロールする仕組みです。
ここで重要な役割を果たすのが、「オレキシン」という脳内物質です。オレキシンは、脳内のさまざまな神経系に働きかけ、覚醒の状態を管理して、脳全体を「起きている状態」に保つ役割を担っています。
睡眠の種類とサイクル
睡眠には、大きく分けて「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」の2種類があります。
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レム睡眠(浅い睡眠): 体はぐったりと休んで筋肉が緩んでいますが、脳は比較的活発に動いており、夢を見ることが多い睡眠です。記憶の整理や固定に関係していると言われています。
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ノンレム睡眠(深い睡眠): 疲れた脳をしっかりと休息させるための睡眠です。眠りの深さによって3段階に分けられ、最も深い段階では脳が完全に休息モードに入ります。
健康な大人の場合、寝つくとまず深いノンレム睡眠に入り、その後レム睡眠が現れます。入眠から最初のレム睡眠までは通常60〜120分程度です。その後、90〜110分の周期でこの2つの睡眠が繰り返されます。
一晩の睡眠全体のうち、75〜80%はノンレム睡眠が占めていますが、深いノンレム睡眠は睡眠の前半に多く、朝方に近づくにつれて浅い睡眠が増えていきます。
年齢とともに変化する睡眠
「歳をとると早起きになる」「長く眠れなくなる」というのは、自然な体の変化です。
加齢による最も大きな変化は、睡眠の途中で目が覚めてしまう「中途覚醒」が増え、最も深い睡眠の時間が減ることです。若い頃は約7時間眠れていた人も、高齢になると睡眠時間は短くなっていきます。
不眠症とは?そのタイプと診断
不眠症とは、単に眠れないだけでなく、「日中に倦怠感、集中力の低下などが起こり、日常生活に支障をきたしている状態」を指します。
タイプとしては以下の4つがあります。
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入眠困難: 寝床に入ってもなかなか寝つけない(一般的に苦痛に感じるほどの時間がかかる場合)。
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睡眠維持困難(中途覚醒): 夜中に何度も目が覚めてしまい、その後なかなか眠れない。
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早朝覚醒: 起きたい時間よりずっと早く目が覚めてしまい、二度寝ができない。
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熟眠障害: 睡眠時間は足りているはずなのに、ぐっすり眠った感じがしない。
年齢による傾向と寝酒の罠
「入眠困難」はどの年齢層でも見られますが、「中途覚醒」や「早朝覚醒」は高齢者に多くなります。一方で、日中の強い眠気は若い世代で多く見られ、仕事や学業への悪影響が深刻です。
また、眠れないからといって「寝酒」をしていませんか?
ある調査では、男性のおよそ2人に1人が週1回以上の寝酒をしていると回答しています。しかし、これはおすすめできません。アルコールは一時的に寝つきを良くしますが、眠りを浅くし、夜中に目が覚めやすくなるため、結果として睡眠の質を下げてしまいます。
不眠症の診断基準
医師は、以下の条件が当てはまるかどうかで診断を行います。
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十分な睡眠時間が確保でき、静かな環境があるにもかかわらず眠れない。
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不眠の症状に加え、日中の疲労感や集中力低下などがある。
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これらの症状が週3回以上あり、かつ3ヶ月以上続いている(慢性不眠障害)。
薬を使わない治療法:睡眠衛生指導と心理療法
薬を飲む前に、まずは睡眠習慣を見直すことが治療の第一歩です。
「眠らなければならない」という強迫観念が、さらなる不眠を招く悪循環になっていることがよくあります。「眠気を感じていなければベッドに行かない」「眠れない時は一度ベッドを出て別の部屋で過ごす」といった刺激制限法が有効です。ベッドを「悩む場所」ではなく「眠る場所」として脳に再学習させることが重要です。
不眠症治療薬の歴史と種類
ここからは、お薬の話です。
かつては「ベンゾジアゼピン系」というタイプのお薬が主流でした。これは1967年頃から使われており、脳のブレーキ役であるGABA(ギャバ)の働きを強めて、強制的に脳を休ませる作用があります。効果は強いのですが、ふらつきや転倒、依存性などの副作用が課題でした。
その後、1989年に副作用を軽減した「非ベンゾジアゼピン系」が登場しましたが、基本的な仕組みは同じでした。
しかし、2010年に「メラトニン受容体作動薬」、2014年に「オレキシン受容体拮抗薬」という、全く新しい仕組みの薬が登場し、治療の選択肢が大きく広がりました。
それぞれの薬の特徴を詳しく見ていきましょう。

1. ベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系(従来のお薬)
これらは、脳の興奮を抑えるGABA受容体に作用して、眠気を引き起こします。即効性があり、寝つきを良くする効果が高いのが特徴です。
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メリット: 入眠効果が強い。
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デメリット・注意点:
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筋弛緩作用: 筋肉が緩むため、高齢者では夜中にトイレに起きた際の転倒や骨折のリスクがあります。
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持ち越し効果: 翌朝まで眠気やふらつきが残ることがあります。
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依存性と耐性: 長期間漫然と使い続けると、薬が効きにくくなったり(耐性)、止められなくなったり(依存)することがあります。
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反跳性不眠(はんちょうせいふみん): 急に薬をやめると、以前より強い不眠が現れることがあります。
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前向性健忘: 薬を飲んでから寝つくまでの記憶がなくなることがあります。特にアルコールと一緒に飲むと起こりやすいため、併用は厳禁です。
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非ベンゾジアゼピン系について:
ベンゾジアゼピン系よりもふらつきなどの副作用が少ないとされていますが、注意が必要です。特に「エスゾピクロン」という薬の臨床試験では、36%の人に「苦味(味覚異常)」が報告されています。薬の成分が唾液に出てくるため、翌朝まで口の中に苦味が残ることがあるのです。
2. メラトニン受容体作動薬(自然な眠りを誘うお薬)
体内時計を調整するホルモン「メラトニン」の受け皿(受容体)に作用し、自然に近い眠りを導きます。「ラメルテオン」という薬が代表的です。
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特徴: 睡眠を強制するのではなく、リズムを整える薬です。そのため、従来薬のような依存性やふらつき、記憶障害のリスクがほとんどありません。
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注意点: 効果はややマイルドです。また、一部の抗うつ薬(フルボキサミン)との併用は禁止されています。
3. オレキシン受容体拮抗薬(覚醒をオフにする最新のお薬)
これは現在、不眠症治療の主役になりつつある新しいお薬です。
先ほど説明した、脳を目覚めさせている物質「オレキシン」の働きをブロックすることで、過剰な覚醒状態を鎮め、睡眠状態へ移行させます。
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特徴:
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「オレキシン受容体1」と「受容体2」の両方をブロックする「デュアル拮抗薬(DORA)」と呼ばれます。
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自然な眠りを促し、レム睡眠とノンレム睡眠の両方を増やします。
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依存性やふらつき、記憶障害のリスクが低く、安全性高いとされています。
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寝つきの悪さだけでなく、夜中に目が覚める中途覚醒にも効果が期待できます。
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副作用: 悪夢を見たり、金縛り(睡眠麻痺)のような症状が出たりすることが稀にあります。これは、入眠直後にレム睡眠が出やすくなることに関連していると考えられています。
最近の医師へのアンケートでは、従来のベンゾジアゼピン系薬剤を減量・中止する際の切り替え先として、このオレキシン受容体拮抗薬が最も推奨されています。
高齢者と睡眠薬の使用について
高齢者の方は、薬の代謝機能が落ちているため、副作用が出やすくなります。
そのため、できるだけ以下の点に注意して薬を選択します。
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少量から開始する。
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半減期(薬の効果が続く時間)が短いものを選ぶ。
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筋弛緩作用(ふらつきの原因)が少ないものを選ぶ。
また、多種類の睡眠薬を同時に飲むことは、転倒や認知機能低下のリスクを高めるため、原則として「単剤投与(1種類のみ)」が推奨されます。
睡眠と認知症の深い関係:「脳の掃除」システム
最後に、非常に興味深い研究結果をご紹介します。
皆さんは、「寝ている間に脳が掃除されている」という話を聞いたことがありますか?
脳内には「アミロイドベータ」などの老廃物が溜まりますが、これらはアルツハイマー型認知症の原因物質の一つと考えられています。近年の研究で、睡眠中、特に深いノンレム睡眠中に、脳内の細胞(グリア細胞)が縮んで隙間を作り、そこへ脳脊髄液が流れ込むことで、老廃物を洗い流している可能性が示唆されています。
睡眠時間は短すぎても長すぎてもダメ
60歳以上の認知症ではない被験者を対象とした調査では、睡眠時間と認知症発症リスクについて、驚くべき結果が出ています。
1日の睡眠時間が5〜6.9時間の人を基準とした場合の認知症の発症リスクは以下の通りです。
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睡眠時間が5時間未満の人: リスクが3.0倍
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睡眠時間が10時間以上の人: リスクが2.3倍
つまり、睡眠不足で老廃物がうまく排出されないのも問題ですが、逆に寝すぎ(あるいは長くベッドに横たわっていても質が悪い睡眠)も良くないのです。睡眠時間は「短すぎず、長すぎず」が、脳の健康を守る鍵となります。

まとめ
睡眠は、単に体を休めるだけでなく、脳のメンテナンスを行い、将来の健康を守るための大切な時間です。
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睡眠の仕組み: 「脳の疲れ」「体内時計」「覚醒の調整」の3つが鍵です。
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不眠症治療: まずは生活習慣の改善から。薬を使う場合も、現在は依存性の少ない「オレキシン受容体拮抗薬」や「メラトニン受容体作動薬」といった選択肢が増えています。
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お薬の注意点: アルコールとの併用は避け、自己判断で量を増やしたり急に止めたりしないことが大切です。
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脳の健康: 適切な睡眠時間は認知症予防にもつながる可能性があります。
「眠れない」と悩んでいる方は、一人で我慢したり、アルコールに頼ったりせず、専門の医療機関に相談することをお勧めします。あなたに合った治療法や生活習慣の見直しで、質の高い睡眠を取り戻しましょう。
